「洋紙と用紙」第22回「模造紙」という名前(その1)
「模造紙」という名前(その1)
一般的な言い方として、白くて大きい寸法の紙を「模造紙」、小さい方を「わら半紙」ということがあります。昔の名前で……ということもありますが、現在、この呼び名では正解とはいえません。
紙の種類が少なかった頃の模造紙は、代表的銘柄の一つでしたから、模造紙という呼び名だけで十分通用していました。ところが現在は、用途に合った紙をいろいろと選択できる時代となり、好みも汎用性のある紙から個性的なものへと変化してきました。以前の模造紙のように、一時代を築いた品種も時代の変遷によって自然淘汰され、今では商品の一つに名を残すのみとなっています。
そこで、戦前の代表的銘柄として活躍し、今なおその名を残す模造紙、すなわち、「模造した紙」という名の由来に立ち入ってみたいと思います。
現在の模造紙
模造紙には3種類あることになっていますが、実際に市販されているのはA模造だけです。三種類とは、A・B・C模造をさします。A模造はスーパーカレンダー仕上げの製品、B模造はマシンカレンダー仕上げ、C模造は未晒亜硫酸パルプを原料としたものですが、B・C模造は今は抄造されていません。
★原料……資料では、A模造は亜硫酸パルプ(現在はクラフト・パルプを使用)を主成分とし、塡料(クレーなど)を入れない紙で、両面とも光沢が強く、紙質も強くつくられているとあります。
★用途……現在の主な用途には、伝票など事務用品や高級包装紙があげられます。
★坪量・寸法……坪量が34g以下を薄口、35g以上を厚口と区分しています。現在は、30gと35gの二種類だけで、寸法もA判と四六判の2種類に限られます。
★カラー……四六判に浅黄、クリーム、桃の3色があります。
模造紙という名のいわれと原点の「局紙」
時代は明治にさかのぼります。
いわれを一口に言うと、国産の紙がヨーロッパに輸出され、やがてそれを模造した紙が逆輸入されます。その紙をさらに時間をかけて模造したのが「模造紙」となります。
明治初年、大蔵省印刷局は、紙幣や公債証書の偽造防止のためにも日本独特の紙をつくり出す必要があり、印刷局抄紙部の中に手漉き工場を作りました。越前五箇(今の福井県今立郡今立町岡本。五箇は大滝、岩本、不老、定友、新在家の五カ村の意)より技術者を招き、研究の結果、印刷局製「鳥の子紙」の抄造に成功します。この紙を印刷局用に使うとともに、一般にも販売し、銘柄は単に「局紙」としました。局紙のはじまりです。
局紙は、みつまたと雁皮の混合紙で紙質も強く、また、「折り目より切り離れない特徴があり、光沢優雅、繊維美の極致、微妙の印刷に適し」(『模造紙考』より)ました。色は淡黄色。尺坪は、約1匁5分、2匁5分、3匁5分で、寸法は各種。見本帳にはシルクペーパーと英訳され記載されました。
やがて、製法は民間に伝わりました。とくに、技術者、研究生を出した福井県の岡本村は鳥の子紙の主産地となりました。現在も、手漉き和紙「局紙」は今立町で漉かれています。
輸出された局紙
明治一八年(一八八五年)、三井物産パリ支店長が帰任するとき、日仏貿易振興のため日本の特産物として局紙を持ち帰り、フランスで販路拡張に努めました。三井物産でこれを売り出すと、フランスはもとよりヨーロッパで好評を博し相当量売れたそうです。
(その2に続きます)