「洋紙と用紙」第33回「日本の洋紙―黎明期」その3

前回の続き)

品質

販路は少しずつ拡張されていった反面、初期のことでもあり、品質問題は深刻でした。国産品は、舶来の洋紙に比べて品質が劣っていたため、西洋紙の輸入が引き続き増量されます。また、製造コストも機械の償却費、外人技師の給与、原料集荷費用などがかさみ、高くつきました。品質などが改良され自給自足にいたるには、まだ時間を必要としました。

抄速=スピード

当時の抄速について『王子製紙社史』では、明治9年―60尺(18m/分)、同一4年―130尺(約40m/分)、16年150尺(約45m/分)、19年―167尺(約50m/分)と伝えています。ドライヤー(乾燥装置)も10本と少なかった時代のことです。現在の1分間に1000mという抄速とは単純に比べることはできませんが、量産に向かって大きな第一歩を踏み出したことをこの記録は物語っています。

動力

まだ、電気のない時代ですが、巨大な機械を動かすために動力を必要としたことは、現在と変わりません。各製紙工場は石炭ボイラーを使い蒸気力を動力としましたが、パピール・ファブリックだけはタービン水車で動力を起こしていました。当時の機械工業は、動力を水車に求めるケースが多かったのですが、製紙業界は蒸気力を使っています。蒸気で原料の木綿ボロを蒸煮したり、紙を乾燥したりするためです。

また、電気がないため、製造時間も照明の関係で昼間だけで夜は休業でした。その照明も、当初は石油燈が使われていましたが、やがてガス燈となり、電気へと移り変わっていきます。

表 洋紙の生産高
年次 工場数 抄紙機
台数
生産高
(千ポンド)
生産高
(t)*1
明治7
(1874年)
1 1 35 16
8 4 4 178 80.5
9 5 5 845 383.5
10 5 5 1,206 547
11 5 5 1,407 638
12 6 5*2 1,697 770
13 6 6 3,084 1,399
14 6 6 3,968 1,800
15 5 5 4,260 1,932.5
16 5 5 4,600 2,086.5
17 5 5 5,264 2,388
18 5 5 5,022 2,278
19 5 5 6,430 2,916.5
20 5 5 6,756 3,064.5
21 5 6 6,442 2,922
22 6 7 6,778 3,074.5
23 8 10 14,896 6,757
資料:『日本紙業総覧』
*1トン数は筆者の換算、0.5t区切りとする。
*2:12年の抄紙機台数。資料は5台となっているが、別資料の紙幅は、72インチ増えているところから、6台の誤植かと思われる(筆者注)。
(この項は『洋紙業を築いた人々』『日本史業綜覧』『紙及びパルプ年表』『三菱製紙六十年史』『現代日本産業発達史12・紙パルプ』『日本の歴史21』『明治大正図誌17』を資料、参考文献としています。)

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